2004-01-01から1年間の記事一覧

フィクションを認識するという体験

どの作品でも描かれていることは同じ。読み取れることは同じ。受け取る側の価値観とはフィルタリング機構であって、それを通せば出てくるものはいつも同じ。 それを超えることが、作品の持つ何か。力、強さ、普遍性、クオリティ。 超えるという関係性は、作…

音楽の道具的用法

ちょっと気になっていたアーティストが有名になってしまうと興味がなくなる、というのはよくあることだろうか。いったん売れてしまうと、新進に対して抱くような期待感が薄れてしまう。 マイナーなうちは固有性を顕在化することで売上を伸ばそうとして、ある…

今そこにある

原因を考えないというのは現実に対処していく上で最も実践的な手法のひとつだ。結果についての責任は追求するが、その意志に至る原因は考えない。 自分が責任に問われない場合や今後同様の事案に関わる必要がない場合、この方策は有効である。そして、私たち…

距離

諦観というのは、それが成熟の果てに獲得されたものであっても、単なる無関心に変化し得るものではないのか。 理解と受容は違う。理解は受容において必ずしも必要ではない。 より良い選択の可能性が罪であり、その行為能力が有責性である。他に何もできなか…

おわったもの

タジマという場が与えうるものは大きい。私が想像できない程度、領域にわたっていることだろう。 しかし、そういった「場」を造り、保っていく過程で犠牲になったものも、確かにある。それはコストであり必要悪なのだろう。窓ガラスや飲み代や試験の点数など…