”ひきこもり”とは何かを認識できない日本の有権者

スーパーテレビ・情報最前線 「衝撃!ひきこもった息子…その時家族は」▽家を破壊する14歳…▽父がとった最終手段

 見ると気分が悪くなるんだろうと思いつつ視聴。おおむね予想通り。
 無理矢理引っ張り出して「出て良かった」をナレーションによる文脈操作で演出して終わり。


 物理的にひきこもれない状況にするという手法の有効性・妥当性についてはもう書かない。


 気になる点は、斉藤環の「ひきこもり救出マニュアル」を父親が所持していたこと。これに従うならば、上述のような手法をとることは絶対に無い。ならばなぜそうしたのか。
 ひとつは、斉藤氏のマニュアルを信用しなかったという可能性。もうひとつは、斉藤氏がしているようなひきこもりの認識を、父親が理解・共有できなかった可能性。


 異文化理解ができない場合があるように、ある種の人たちはひきこもりということを全く理解できないのではないかと思う。
 「ひきこもって生きていられればそれは楽だろうけど、そういうわけにはいかないし、人生つらいのは当たり前」そういうようなことをテレビは言う。世論は言う。それは言葉の上では正しい。でもたぶん”つらさの質”が違っているんだろう。そのつらさを感じられない人たちには理解不能なのだ。(リストカットやネット自殺の一部もこの理解不能の壁があると思う)


 しかし、この理解の改善は恐ろしく遠大な試みだろう。世界と社会と人間の認識を変更するのに近いと思う。中年の人間がそんな世界観の破壊にそうそう耐えられるとは思えない。


 なんとなくだが、ひきこもりの親は人格に問題がある人が多い気がする。問題と言うほどでなくても未成熟な人格であることが多い気がする。少なくとも、ひきこもりを理解できない人間であると思われる(調査したら面白い結果が出るのではなかろうか)
 もしそうなら、ひきこもりは当人にとって二重の問題になる。ひきこもりを生み出す親ほどひきこもりを理解できない。原因が親で、親からの理解や支援を期待できない。