めがね考

 試験場はメガネの使用率が高い。”なりふりかまってられない”のだろうか。
 最近はメガネをかけている人を街で見かけることが少なくなったようだ。特に20歳前後の女性となるとちょっと見回したぐらいではまず見つからない。帰り道に歩いた地下街で数えてみたが、2人しかいなかった。何百人かとすれ違ったなかでそれだけである。しかし、試験場では少なくとも2人いた。これはかなり高い割合だろう。
 なりふりにかまうという状態の違いではなく、そもそも試験場にいる人種と繁華街にいる人種は違う、という見方はおそらく正しいのだろうが、それはそれで興味深い事実であり、そして以下のような状況をあらわしている。
 近視になったら否応なくメガネ、という時代が終わって、コンタクトと選択可能になったら、いつの間にか「オサレ=コンタクト」の図式が定着してしまった。それも若年層になると絶対的なレベルでそうなっているようで、メガネの十代とか絶滅してしまったんじゃないだろうか。たしかに男性ではファッションとしてオサレなメガネというのはまだ生き残っているようだがそれでもやはり少数派である。
 メガネ業界はもうファッションとしてのメガネという広告戦略を諦めているようだが、それは賢明なる撤退なのだろう。それでも今一度、攻勢に出るとしたらどんなイメージ戦略が可能なのか。
 コンタクトとの選択が可能な現在においては、メガネをかける人種かけない人種という基準(つまり”メガネ=非おしゃれ”という圧力)を無力化し、かけた状態かけない状態という基準を打ち出した方が良いような気がする。これによって、例えば「オフの時間はメガネで過ごす」というライフスタイルを推進する。家に帰ったらメガネで過ごすという人は既に多いだろうが、さらに進めて、「ごく近しい人の前でならメガネでも構わない」と誘導する。
 例えば、学校帰りに友人を自宅に招いたら、ホストは「メガネにて失礼します」みたいな、”なりふりかまわないから”でなく”近しいから”メガネ、というメガネ観。他にはCMであれば、うっかりいつも通りに寝起きメガネのところを「メガネも似合う」と指摘されて照れてみせる人気俳優とか。
 でもこの方向だと、表でメガネかける人がもっと減るという諸刃の剣。コンタクトでアレルギーな人なんかかわいそうだし。ダラダラ書いたけどやっぱりメガネは斜陽産業だろうな。