自殺中継(自殺配信)した人は、なぜ2ちゃんねるを選んだか

 親族でも友人でも電話相談でもなく、なぜ2ちゃんねるだったのか。
 なぜならば、どこに相談しても相応の対応をしてくれることがわかっているから。だからそれは、何の慰めにもならない。
 SNSTwitterでもそう。人物が同定できる場であれば、状況はあまり変わらない。


 匿名というフィルターを通したものだけが、心に届く。


 あるいは彼自身、それを自覚していなかったかもわからないけれど。
 最後の最後、追い詰められた、そういうときに匿名の場が身近にあることで、救われる人は多いんじゃないかな。
昔は居酒屋だったりバーのカウンターみたいな酒場、盛り場、あるいは旅先での語らいが類似の匿名性をもっていた。


 ネットの匿名は顔をあわせることもないという、一段階強い匿名性を実現した。
 そこではときどき、蒸留された優しさのような、とても純粋な感情を見てとることがある。
 匿名性は人間のネガティブな感情を増幅することも多いけれど、大事なものを見出すこともあって、こういう場をなくしてしまうのは惜しい気がする。