「戦没者追悼式欠席は言行不一致」と追及、の記事

 記事の見出しは以下である。

衆院予算委 稲田朋美防衛相が涙ぐむ
民進辻元清美氏に「戦没者追悼式欠席は言行不一致」と追及され…

 この見出しを読んだとき、ちょっと意味がわからなかった。
 言行不一致はその通りだが、それは民進党をはじめ中国韓国よりの勢力に配慮した結果の欠席だったからだ。(少なくとも私はそう見ている)
 だから、民進党が追及する筋ではないはずである。


 しかし、辻元氏は8月15日の全国戦没者追悼式に出席しなかったことと、例年行っている靖国神社参拝を見送ったことを問題だとして追及したという。

 稲田氏が追悼式欠席について「大変残念だった」と答弁すると、辻元氏はさらに「あなたの『戦争でなくなった方々へ心をささげる』というのは、その程度だったのかと思われかねない」とたたみかけた。

これに対して稲田氏は、

 「今回本当に残念なことに出席できなかったが、指摘は指摘として受け止めたい」

と答えた。


 これは普通に読めば、稲田氏は靖国に参拝するべきだったという趣旨である。
 「来年は必ず靖国神社に参拝します」とでも答弁されたらどうするのだろう。
 さらには「あなたも一緒に参拝しましょう」も良い。


 やはりこの追及は意味がわからない。
 論考にも何にもならないが、意味がわからないと思ったことは記録しておく。




 一方で稲田氏の涙の理由は何か。
 これは参拝しなかったことについての深い悔しさであろうかと思う。
 そしてそれは一言で表せるようなことではあるまい。


 防衛相を打診された段階で靖国参拝は避けるという条件が付いていたとしたら、どうだろうか。
 自分の思いをまげ、国益のためと役目を引き受けた。それだけでも悔しい、苦しいことだったろう。
 それを今また、追及される。


 「なぜなのか?」


 この国の政治家は哀悼の意を表するにも制約がつく。
 戦後70余年、その長すぎる時間で凝り固まった束縛は容易に覆せるものではない。右も左も、東も西も……。
 理屈でわかっていても、感情的には受け入れがたい。忸怩たる思いが積もり積もっているであろう。


 「どうして、これほどまでに?」


 不条理を懸命にこらえるように見えた。