テレビのニュースを見なくなったのはいつごろだったっけ?

 十代のころに新聞を読むようになって、ニュースも見てた。
 社会人になるまでに、小説だけでなく、評論のようなものも少しばかり読んだ。


 そのためだろうか、ある時期からテレビのニュースはテンポが遅いと感じるようになった。
 20分あったら、もっとたくさんの情報を取得できるはず。ネットや新聞、新書のような文字媒体であれば。と思った。


 最近は、時事問題をまとめサイトで知ることがほとんどになった気がする。
 テレビニュースは見ないが、まとめサイトはチェックしている。
 娯楽の合間に世情を知るようになっている。


 これってまずいかも。
 最初から関心があるトピックやまとめサイトで受けるトピックでないものに、触れることができない。
 新聞を取らなくてもいいって感じることができていたのは、NHKのニュースを見てたせいだったんだろう。


 いままで、私が関心を持つべき出来事が、いくつもマスメディアに流れてそのまま消えていったのではなかろうか。
 それとも、ニュースを取りこぼす不安というのは、現代にありがちな病的な心理傾向なのだろうか。


 閑話休題
 なんとなく思っていたのは、テレビニュースが視聴者として想定する情報処理能力を、私のそれが越えてしまった段階で、見るのをやめてしまったんだということ。
 傲慢にも聞こえる書き方になってしまったけど、別に自分の知識や知性が優れていると思っているわけではない。
 テレビのニュースは、高校生程度でもわかるように設計されているのだろうし、テレビで伝えきれない情報をネットで補うというようなことができない人を想定しているのだろう。
 そうするとどうしても時間当たりの情報量が少なくなる、密度が薄くなってしまう。


 情報の入力において「読む」ということの自由度と効率性を体感した人間は、他の入力に不便を感じざるを得ない。
 これは脳とコンピュータの直結が実用化されるまで続くと思う。