”先のこと”を考えるということ
ちゃんとした人はちゃんと先のことを考えている。自分にはそれができていなかった。
十代の頃は、日々をやり過ごすことで手一杯だったから、先のことを意識することができなくて当然だったのだ。そう思いたい。
でも、そうはいっても、いまも変わっていないな
先のこと、というのは社会的自意識、他者からの評価なのかも知れない。
他者を措定したときに、明日の他者、1年後の他者、それぞれの評価がある。
先のこと、未来の方向の時間意識というのは他者からの評価というものによって始まる?
社会に適応している人にも虚無感のようなものがあるのだろうか。
とすればそれはなぜか。
”自動的に”適応しているからなのだろうか。
共感能力が高くて、頭が良くて、コミュ力があって……
しかし、それが自動的に発動する特質であったならば……
前に見た、愛されるギアス、に近いのだろうか
自動的であるが故に、自分の選択ではないが故に、自尊感情に結びつかないとしたら