戦場にかける橋

 原題は「The Bridge on The River Kwai」


 この映画でイギリス兵たちが行進するときに口笛で吹いている行軍歌が「クワイ河マーチ」ということをさっき知った。
聞いたことのある曲だったが、この映画のために作られた曲だったんだな。


 やはり昔の映画は脚本がいいと思う。
 見終わって時計を見るとずいぶん遅かったのでパッケージの収録時間を確かめると162分で2時間42分だった。
しかし、どこかを削るかというとどこも削りたくはない。


 七人の侍のときも考えたが、それぞれのキャラクターにストーリーを持たせたりするように、話の筋が複線的重層的になっていて、様々な視点から捕虜の労役や兵隊の誇りのあり方のようなものが描写される。



 脱走に成功した一人の捕虜が、橋の爆破作戦に参加することになる。


 しかし、脱走した当時の状況とは異なり、イギリス人たちは規律を取り戻し、建設をなし得たことに誇りを持っていた。
爆破作戦は彼らの成果を無に帰するものである。


 現地の司令官、斉藤の描写が不可思議だった。思想的人格的に軽蔑すべき人間としては描かれていないのである。
 彼は捕虜部隊隊長との会話のなかで、5月12日までに完成しなければ自分は自殺しなければならないと話す。
そのためには、将校を含めて全ての人員を投入すると言う。
 斉藤に自由はなく、命令に従っているだけだということをはっきり示し、彼個人を悪役とはしないのである。
また、クライマックスの直前、斉藤は遺書らしきものを書いて、短刀とともに懐へ忍ばせるシーンがある。彼は自決の覚悟を決めていた。
 橋の建設は、日本軍でなくむしろ捕虜達の設計、マネジメント、労働力によってなされたためであろう。
このあたりの恥の感覚も思いの外、日本人の感覚になじむものである。


 爆破予定時刻の直前、爆薬と導線が発見される。その際の戦闘により主要な登場人物はほとんど死んでしまう。
 捕虜達が尊厳をかけて造った橋が当のイギリス軍の手によって爆破される。
そして爆破シーンの後はいくらもしないうちにエンディングとなり、放り出されたような空虚な感じを受けた。