ミッドサマー
哲学カフェで話題にあがったので見に行った。
20/02/24なので、ちょうど1ヶ月前になる。
中州大洋で残り1席。最前列の右端でかなり見づらかった。
欧米で文化の盗用という言い方での批判の仕方があるが、
この映画は文化人類学の成果の濫用ではないのか。
またあるいは(意図的な)誤解があるように思える。
筆者は文化人類学の専門家ではないので確たることは言えないのだが……
映画の設定のうち、元ネタ、着想のもととなったであろうポイントをメモしておく
- 村の入り口ゲート
「境界」を示す。やや暗い森と明るい村内との対比であり境界である。
ゲートを過ぎた直後に村人と対面し、荷物を預けるなどするのは、小さな通過儀礼:イニシエーションと見ることもできる。
輪をくぐるのは、日本では茅の輪くぐりなどと類似するか。
- 人間の一生を4つに分節する
青春、朱夏、白秋、玄冬、も四季になぞらえた4分節である。
- 姥捨て
町山智浩氏の解説によると姥捨崖という伝説もあるらしい
- 遇客婚(客人婚)
旅人と共同体の女性を性交させる
漫画のバイオメガにもそのような場面があった。
何かの映画でも見た気がする。
- 隻眼
隻眼の人間には超常的な力が宿るという設定は聞いたことがある。
ある村では選ばれた少女の片眼を失明させ、宗教的な役割を与える、という設定など
- 近親交配による先天性障害
親族の基本構造では近親婚のタブーは遺伝的な不利益が主な原因では無く、社会制度上の要請によるものだと主張している。
交差いとこ婚、並行いとこ婚により論証される。
映画では近親婚により先天性障害が発生し(意図的に発生させ)その障害者が宗教的な役割を負う(託宣を受ける)とされる。
これは観客に対して「近親婚を避けるのは、先天性障害を避けるためである」という文化人類学上の誤解を広めることになりはしないか
- 性交を見守る女
マヤは性交の最中に手を伸ばし、その手をとる女がいる。この女はマヤよりも一回り上の世代であるように見える。
マヤにとって特権的な女性なので、母親と解釈できる。あるいは名付け親的な存在でもよい。
娘の処女喪失を見守る母、という設定はどこかで見た。乳母だったかもしれない。
見守るどころか手ほどきするという設定だったかもしれない。
- 障害者の唇
この唇の奇形はハンセン病の病変とよく似ていると思ったがどうだろうか 。業病とも言うことだし。
ネットで調べても似た症例はないので、記憶違いかもしれない。
ざっと書き飛ばしたが、見た直後の印象よりも文化人類学といえるものは少ないか。
フォーク・ホラーというカテゴリがあるそうなので、ぱっと見で似たつくりの映画は多いのだろう。