日傘のお兄さん

日傘のお兄さん (新潮文庫)

日傘のお兄さん (新潮文庫)

 これなんてエロゲ

 いやまあ違うのかもしれないけど。表題作「日傘のお兄さん」はそうツッコミたくなる。
 絆としてだけ存在する絆、とでも言おうか。人脈ではなく、私のトモダチ、私のカレシ、という関係性を差し引いた関係。そういうものを(恥ずかしげもなく)正面きって描いているのはエロゲだけだと思ってた。(消費者も含めてジャンルの特殊性がそれを可能にしているのだけれど)
 彼女は82年生まれで、私より2つ下になる。もし彼女の感性に対して市場から一定の共感があるのであれば、また私の感性もエロゲ的感性も性差を超えるのでは、などと妄想した。


 同収録の「すこやかだから」
 この作品は特に私の感覚に近くて、あまりに近くて、読み進めるのをためらってしまった。そういう経験は初めて。


 以下、引用含みます。

「俺には、安全地帯は、神社だけだな。なんか」
 同収録 すこやかだから p230

 私は神社に行くと”帰ってきた”と感じることがある。彼女もそうなのではないか。そういう人は日本人には多いのかもしれない。
 しかし、以下をあわせて読むとどうか。

 私はいつも、どこかに帰りたい。たったひとつの自分の家にいるのにそれでも別の場所に帰りたい。
 日傘のお兄さん p51

 この2つの関連はここにあげるときに、ぱらぱらと見返して気づいた。


 彼女が欲している、求めている何か。それをなんとなく理解できる人、理解できてしまう人、理解できないほうが幸福な何か。