タトゥーへ向けられる感情

天然自然のモノに対する信仰がある。

これはまさに信仰で、合理的な理由はない。

この信仰の対象は人間の身体も含まれる。全ての人間の身体であり、”他人の身体”も含まれる。

なので、赤の他人の身体への刺青であっても信仰心が傷つくということはあり得る。

(木石が傷つけられても感情が傷つくのである)

 

自分一人の体ではないという言い方があるが、これは近しい者たちにとって、ということを前提としている。

この信仰はそうではなくあまねく人間の身体を対象とする。

そもそも人間の身体は個人の所有においてのみ在るのではない、権利という概念に収まらないものだという信仰なのだろう。

 

医療においては、本人の意志が明確でも自傷となる行為を妨げることが倫理的だとされる。

タトゥーは自傷なのか。

自傷だろう。ただ、こうなるとピアスも自傷だといえるので、言明する意味はあまり無いように思う。

 

自傷が容認されるか、ということになる。

宗教的な儀礼における自傷は容認されているし、身体的な傷害のリスクがある儀礼も容認されている。

ならば、やはり文化的背景によって選別された、伝統的なコンテキストによって、特定の方向性を持った感情が、ネガティブな感情が喚起されているということになるのだろうか。