2012/10/02
大隈カバン店新天町南通店2F
15750円 このころは消費税5%だった
イオンシネマにて
物資の配給があるなど、戦後のイメージに近い村社会。
労働が義務化されていて共産主義にも見える。
綾波と共同体(のおばちゃん達)との関係性は田舎の素朴なパターナリズムであり、彼女に訪れる学びの体験も素朴な情動と関係性の学びである。
この原初的な共同体、人間関係、情動、を基本的な価値、肯定的価値として提示される。
このストレートな表現は監督が大人になったということか、あるいはそれをとうに通り越して、オタクに大人になれということなのか。
続く脚本を見ると後者であろう。
シンジは人里離れたところに住むケンスケのもとに移り、しかし彼の優しさを拒絶する。綾波とは対照的である。
彼のセリフ「何でみんな、こんなに優しいんだ」
これは彼が、何と言うべきか、彼なりに頑張ったからである。
そういう人に対して、世の人々はそれなりに優しい。
私がこれを理解したのは近年のことである。
監督も同じことを人生のある時期に感じたのではないだろうか。そしてそれをオタクへ伝えたかった。
しかしこれは、わかる人には言わなくてもわかるし、わからない人には言ってもわからない。そういうものだと思う。
TV版放映時の自分には当然わからない。どれだけ諭されてもわからない。
家出したシンジを見守るアスカもまた優しい。いや、それを超えた慈しみを持っている。
これは後のシーンにつながっていたようだ。
加地リョージと葛城。二人、あるいは三人の物語。これはやや傍らに追いやられた感がある。
さてシンジは今一度、ヴンダーに乗ることを決意する。戦うことを、エヴァにのることを。
決戦の直前、アスカはシンジに尋ねる。
なぜ殴ろうとしたのか。その答えは、アスカが乗った3号機を前に、殺すことも生かすことも選ばなかった、責任をとろうとしなかったから。
アスカはその応えを認め、シンジが大人になったと認めた。
礼を言う。弁当がおいしかった。
あの頃、たぶんシンジが好きだったと。
アスカはキャラクターが変わったと感じた。臆面もなくそんなことを言うことはなかったと思う。例え最後の会話だとしても。
マリはスッキリしたかと尋ねるが、一連のやり取りはアスカ自身の気持ちによるだけでなく、これはアスカからシンジへの贈与である。
マイナス宇宙での会話劇
「涙は自分しか救わない」辛辣な言葉だ。シンジの自己批判であり、成長の証左であり、また大人になれないオタクへの呪詛なのだろうか。
マイナス宇宙から、一人一人を送り返すストーリーはクロスチャンネルを想起させる。誰かがレビューを書いてくれるだろう。
ゲンドウの内面世界を掘り下げるのは予想外だった。
でもエヴァンゲリオンという作品世界の起点がどこかと考えると、ここに対して落とし前をつけないといけないのは必然なのかもしれない。
最後までエディプスコンプレックスの話ということになるのかなぁ
13号機を恐れるが故のATフィールド、シンジを恐れるが故のゲンドウのATフィールド。
敵ではなく、侵害ではなく、自らが感じる恐れがATフィールドを生み出すということが明示的に示された。
NeonGenesis、新しい世界を作る、エヴァがなくてもいい世界を作る、という言い回しがされている。
そして最後に宇部新川駅の実写が映る。
では、この世界がそのNeonGenesisを経た世界ということだろうか。
いつの間にか、いつまでも終わらない作品という感覚になっていたので、終わるとさみしいな。
三部作の完結編
年末に第一作の中盤から再開し、この前の週末までやっていた。
結構な量の文章を読んだので文体がうつりそうになる。若い頃はたまにあったけど、今となっては久しぶりの感覚だ。年もとったし、まとまった時間がとれることも少なくなる、こういう経験はもうあまりできないだろう。貴重な体験だ。
作中でも8年の時間が経過するし、プレイ時間も長かった。そのためか、いわゆる「ロス」みたいな感覚になった。これは意外だった。
第二作から第三作までの間に、別のシリーズが製作され、実に8年の期間があいている。この間に、いわゆる絵柄が大きく変わっていて戸惑った。絵柄が変わるのは良いことだと思っていた。これまでは自分の好みに沿う変化だった。あるいは、自分の好みの変遷と同じ方向に変化していた。
ところが今回は少しズレていた。これに戸惑った。それでもやはり好きな範囲ではあるが……
文芸としてはどうだったろうか。何かこう刺さるものがなかった気がする。ミステリとして成立せしめるため、削られた、書けなかったものが多かったのではないか。新本格ミステリを読んだときに作者の価値観が見えないと感じたのと似ているか。
仕事が忙しくなってイノグレから離れ、余裕が出来た頃に始まったFlowersから戻った。第一作のリマスター版を予約し今三部作を終えた。
次の作品をプレイするだろうか。
絵を見て感動することが少なくなった。いや、絵に限らず心を動かされることが少なくなった。その強度も小さくなった。
酒の飲み過ぎもあるのかもしれないが、何かエネルギーが少しずつ減って無くなっているようだ。
百合っぽい描写が増えている気がする。CGも多いかな。
Flowersにつながるということか。シリーズの途中で別シリーズを始めたのは監督が百合に傾倒したためなのか。
冬子や冬子と時坂の関係性はストーリーの本筋にはほとんど関わらない。
シリーズものとしてのプロットの意図が見えない。次の第3作で回収されるのかどうか。
前作でも紫は登場シーンも多く、良いキャラクターだと思っていたが、今作は前にも増して、だった。
三人称での文体に近いことも有利に働いたか、彼女自身の想いを描写するシーンもあり、人物造型が深まっている。
佳境に近いところで雪子を諭すシーン、物語の冒頭で真崎を諭すシーンなども役どころが良いのもあるが、彼女らしさがよく表れているといえるか。
紫死亡ENDはホントつらいのでちょっと控えてほしい。いや、狙ってやってるのか?
書いていて気付いたが由記子と雪子は音が同じだ。
エロゲーだから仕方ないんだけど紫の友人のほとんどが時坂と関係を持ってしまうのはなんか笑ってしまう。そこに至る展開も強引だし。
冬子なんか妄想の中で登場だもんな。まあ仕方ないんだけど。
社会的引きこもり
1998年初版。2000年9刷。
このころは斎藤環氏の著作を読んでいた。
鬼切り鵺子
ルピナス探偵団の当惑
安かったし話題だったから確保していたがずいぶん後になって読んだ。
叙述トリックはやはり性に合わない。
神様のパズル
面白かった記憶があるが内容は忘れた。
高校事変
著者は多作なようだし、書き飛ばしている印象だったが、後で続編もいくらか出ていると知って納得。
深見真、鈴木貴昭などの名前を知っている人にはミリタリーネタ的に物足りないと思う。
キャラクター小説にもなりきれないし、百合っぽい描写も狙っているとしたらおそらく失敗しているので、そんなに続編が出る理由がわからない。
従来の松岡ファンが新味を感じて買っているのか?
時砂の王
小川一水の実験作、なのかな。
いままでで最短、十数ページで読むのを諦めた。
一つの段落が2ページと少しに及ぶこともあって読みにくい。
浅田寅ヲの2002年
日本はなぜ世界で一番人気があるのか
擬態うつ病
溝口氏の著書
日本の10大新宗教
中原中也詩集
羊の歌を読んでみたかった
シルエット
有名作品だったので読んでみた。内容は忘れた。
村上龍のこの手の作品は問題意識を共有できる。
キスまでの距離。僕らの夏。彼女の朝。
おいしいコーヒーのいれ方、シリーズ最初の3作。
僕らの夏の装丁が気になって1作目から読んだ。
後になって読み返したら、フツーの中高生向けの軽い恋愛小説という印象。
ジャンプJブックスなのでこれでよいのだろう。
翼
内容は忘れた
よろこびの歌
児童文学みたいで、自分には読み取れるものが少なかった。